
出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円

●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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タミが主役となる時代の生き方
孝明天皇が高濱清七郎を都から脱出させたことは、結果的に、それまで天皇家が独占していた伯家神道に基づく日本独自の帝王学の民間への開放につながった。あるいはそれは、この国の危機を救わんとされた孝明天皇の意志であったのかもしれない。
七沢氏は、〈カミ(神)〉―〈キミ(君)〉―〈オミ(臣)〉―〈タミ(民)〉という社会構造において、現在はまさにタミ(民)が主役となり、タミ(民)がカミ(神)と直接つながる時代になってきていると指摘する。
このことを理解するには、古代の祭政原理にまでいったん立ち返る必要があるだろう。それを示した次の模式図を見てほしい。
この図は最古代の祭政原理を示したものであり、カミ(神)とキミ(君)のつながりが矢印で示されている。
それを媒介する神司(かんづかさ)(ハフリ)は、カミ(神)の力をキミ(君)に受霊放射する一方で、キミ(君)の穢れを吸収し異界(根(ね)の国・底(そこ)の国)に送り、それを転移させてカミ(神)に還元することになる。
古代史的にいえば、ハフリはおそらく弥生時代的な祭司王、審神(さにわ)王(おう)、国主(くにぬし)といった存在の名残を示している。記紀が成立した律令時代には、すでに地方の下級神官的印象に落とされているが。
「ハフリは、いろいろな意味を持つ古語であり、祝(はふ)り、放(ほう)り、葬(ほうむ)り、屠(ほふ)りの意味を持ちます。一見すると矛盾する意味が並びますが、それらは、未分化の根源的な語義を示唆していて興味深いものです。動詞形のハフルは、『端(は)を振る』意味が原義としてあり、顕の世界と幽の世界をまたいでエネルギーを転換する原理を示すものと考えられます」
と七沢氏は説明する。
ハフリという語は、皇子が皇太子に推(お)されたり、皇太子が天皇となるための伯家神道の行法「祝(はふり)の神事」や、神職名としての「大祝(おおほうり)」に残っていることにも注目してほしい。
次ページの図は、大王(オオキミ)制における祭政原理である。
ここでは、神(ハフリ)司(ハフリ)の位置はオミ(臣)として位置づけられ、役割分担としてナカツオミ(中臣)とイミベ(忌部)に分かれる。なお、この模式は、必ずしも古代史における同名氏族の出自とは一致しない。
この場合、中臣とはオミの立場でありつつ、カミ(神)とキミ(君)を媒介する特殊な「ナカ(中)ツ(の)オミ(臣)」を意味し、忌部とは「ナカツオミノイミベ」の略で、イミ(忌)を異界へ送る業(わざ)を指すと考えればいいだろう。
中臣は、カミの力をキミに中継ぎする役で、受霊(じゅれい)放射を行う。忌部は、キミが背負われるオミやタミの罪・科(とが)・穢(けが)れを吸引して送り、最終的には転移させ、神界に戻す役で、受穢(じゅえ)転送を行う。
このことは大祓にも関係すると七沢氏は言う。
「大祓は『中臣祓』ともいわれるように中臣氏に由来するものであり、神(かん)司(づかさ)(ハフリ)の世界の原則をそこに反映しています。穢れの文言を執拗に述べた一節にその痕跡が見られるのです。
カミ(神)の力をキミ(君)に受霊放射することと、キミ(君)の穢れを異界(根の国・底の国)に送ることは対になってこそ、一貫性を持ちえます。これは儀礼の持つ力の根本原理だといえるでしょう」
ちなみに、次に示すのは戦前・近代の国家原理である。
ここでは、カミ(神)に包括(ほうかつ)されたキミ(君)は、垂直にオミ(臣)とタミ(民)の統合たる国民にかかわることになり、そこに神司的な媒介者は介在しない。
この構造は形式上は現在まで続いているが、第二次世界大戦後、政(まつりごと)の主権はタミ(民)へと移っている。21世紀に入り、その傾向はますます顕著であり、日本古来の帝王学の知と力と技を、タミ(民)の名のもとに新たに背負い、タミ(民)は時代創造の鍵となり始めている。
これについて七沢氏はこう述べる。
「共産主義は、タミ(民)が抱いてきた千年単位の遺恨(いこん)によって、カミ(神)、キミ(君)、オミ(臣)を壊滅(かいめつ)させんとする思想でしたが、そのような遺恨からは、新たな時代を創造する知と力は生まれません。むしろ、タミ(民)は、旧時代の国生み(統治原理)のエッセンスを学び、それを巧みに応用すべきではないでしょうか」
最後の模式図(左図)は、これまでとは違う視点から、カミ(神)、キミ(君)、オミ(臣)、タミ(民)の関係を捉え直したものである。
ここでは、タミ(民)の中にすべてが内包される表現となっており、私たち一人一人が自らの現実の創造者として「国生み」をし、キミ(君)、そしてオミ(臣)として、現実社会における統治のあり方を考えなければならないということが示されている。
それは個人にとって、あまりに大きな課題といえるが、日本古来の帝王学としての言霊学と伯家神道、そしてクイント・エッセンスの存在は、タミ(民)が主役となる時代の生き方について明瞭な指針を与えてくれることだろう。