出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円
●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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「こころ」は光でできている
では、「こころ」の実像へ迫っていこう。
治部眞理氏と保江邦夫氏は、梅沢・高橋両氏の研究をもとにして、量子場脳理論に登場するコーティコン場を「脳細胞の内外に広がった水の電気双極子の凝集(ぎょうしゅう)場」であると考えた。電気双極子とはプラスとマイナスの電荷がごく微小な距離だけ離れた状態で一組になっているものを指し、たとえば、水分子などもその電気双極子となりうる。
一方、ミクロな量子の世界において、コーティコン場と互いに影響し合って生じる波動現象によって記憶や意識を生み出すスチュアートン場は電磁場であるとした。
外界からの刺激や、それに対する意識の印象も含めた内的な刺激は、最終的にニューロンの細胞骨格や細胞膜の中につくられる大きな電気双極子の形にまで変形された後、それがさらに水の電気双極子の形に変形され、最終的に、水の電気双極子の凝集体として安定的に維持される。それがすなわち記憶である。
そして、いったん記憶が凝集体の形で持続しているようなときに、新たな刺激により、その凝集体の存在する部位に位置するニューロンの細胞骨格や細胞膜の生体分子が電気双極子を持った場合に、凝集体の中に南部・ゴールドストーン量子(質量を持たない粒子)であるポラリトンが発生し、その結果として記憶が想起される。
これら一連のプロセスが、記憶の早期の物理的な素過程(現象の最小単位となる過程)であると考えられる―というのが治部・保江両氏の説である。
だが、その記憶を想起する主体とは、いったい何なのか。つまり、思い出した記憶を意識する主体である「こころ」の物理的な実態とはいったいどんなものなのか。
ここで注目したいのが細胞と細胞の隙間である細胞間隙(かんげき)だ。
細胞間隙は、脳においてミクロの世界にもマクロの世界にも広がっており、ひとつながりとなっている。そして、ミクロのスケールとマクロのスケールのどちらにも顔を出す水の電気双極子の凝集体でできている。
そして、それぞれの凝集体が記憶の基本的な要素となり、どの凝集体からも固有のポラリトンが絶えず生み出されているために、記憶の要素が存在することを意識できるのである。そのことから、このポラリトンの生成を意識する主体こそが、「こころ」と呼ばれるものの実体だといえるだろう。
では、そのポラリトンなるものの正体は何なのか?
治部・保江両氏は、量子論に基づく仮説を丁寧に重ねていき、最終的にそれが有限の質量を持つ「隠れ光子」(エバネッセント光子)にその姿を変えて、凝集体の中に潜(ひそ)んでいるという結論を得た。
この隠れ光子はどんなに小さいエネルギーであっても生成されるため、ニューロンの細胞骨格や細胞膜の生体分子が形づくる電気双極子の凝集体に与えられる程度のわずかのエネルギーによっても、無限個の隠れ光子が生み出されることになる。そして、マクロのスケールにまで広がった光となって凝集体にまとわりつくことになる。
この隠れ光子は、いくら無限にたくさん集まっても隠れた光にしかならず、通常の進行波の光にはならない。つまり、直接見ることはできない光なのである。
記憶の想起の物理的な過程で発生した隠れ光子を取り込んでいる物理的な主体が、「こころ」の正体だということになるわけだが、脳細胞のミクロの世界を見渡す限り、その主体となりうるのは無限個の隠れ光子の集団しかない。
したがって結論をいえば、「こころ」の実体とは、脳細胞のミクロの世界において水の電気双極子の凝集体としてあまねく分布する記憶の要素の全体から絶えず生じる隠れ光子を含めた、無限の隠れ光子の集団であるということになる。
さて、ここまできてついに、「こころ」の実体を脳細胞のミクロの世界からマクロの世界にかけて広がっている電磁場の中に見出すことができた。
細胞質や細胞間隙にあまねく分布する記憶の要素として水が存在し、その水の電気双極子の凝集場から生み出される隠れ光子が無限に集まって実体化する安定した電磁場の運動形態こそが、量子場脳理論における「こころ」の実体だといえよう。
もちろん、記憶の要素である水の電気双極子の凝集場がはじめから存在しなければ、どこにも隠れ光子の集合体としての「こころ」は形作られない。
哲学者のミゲル・デ・ウナムーノは、心は記憶の上にのみ存在し、記憶によってのみ存在していると洞察したが、まさにそれが量子場脳理論の結論であった。
量子論に示される世界像と言霊の世界像との類似性に注目すると、記憶とはすなわち言霊に相当し、人の「こころ」は言霊によってのみ存在しうるということになる。
普通、私たちは、「こころ」がまずあって、そこから言葉が生まれると考えるわけだが、言霊学においては、まず天津神としての言霊があり、そこから「こころ」が生まれてくると考える。それは、量子場脳理論の説くところと通じる考え方だといえるだろう。