
出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円

●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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量子の示す奇妙な振る舞い
ここから「量子場脳理論と言霊」について述べていくが、その理解の前提となるのは、量子の示す奇妙な振る舞いと、そこに意識がどうかかわるかということである。
前章で、「顕」としての物質世界に対して国津神は「幽」にあたり、天津神は「幽の幽」にあたると説明した。しかしながら、「幽の幽」などというと容易にはイメージがつかみにくい。そこで、量子論に示される世界像から「幽の幽」のイメージをつかんでいくことにしよう。
量子論の「量子」という言葉は、quantum(クォンタム)という英語の訳語であり、「小さな塊(かたまり)・単位」という意味である。量子論はミクロの世界の話だ。具体的には、電子などの素粒子と呼ばれる物質は、マクロの世界とはまったく異なった奇妙で常識外れのルールに従っていることが20世紀になって明らかになった。その奇妙なルール(ミクロの物質が持つ奇妙な性質)を統一的に説明する理論こそが量子論なのである。
量子論ではまず、ハイゼンベルクの「不確定性原理」が基本的な考え方として挙げられる。その内容は、「ある物質に関する『位置』と『運動量』を測定するとき、両者を同時にただ一つの値に確定することはできず、避けられない不確かさが残る」というものだ。
つまり、位置を特定しようとすれば、運動量が決まらなくなり、運動量を特定しようとすれば位置が決まらなくなるのである。
ミクロの物質が従っている常識外れなルールはほかにもある。量子論によると、ミクロの物質の未来はただ一つには決まっていないのである。たとえば、ある瞬間に電子がある場所で発見されたとする。その一秒後に私たちがその電子を観察したとき、電子はどこで見つかるだろうか。
電子ではなく野球のボールなら話は簡単だ。止まっているなら位置は変わらず、動いているなら、方向と速度が分かれば一秒後の予測がつく。
しかし、量子論では「A地点で見つかる可能性が60パーセント、B地点で見つかる可能性が30パーセントである」といった形でしか予測ができない。つまり電子の未来はただ一つではなく、複数あることになる。そして、実際に電子が一秒後にどこで見つかるかは、一秒後になってみないと分からないのである。つまり、電子の未来はサイコロを振って出た目に従うように、行き当たりばったりで決まるのだ。
ミクロの物質が従っている常識外れなルールはこれにとどまらない。たとえば、宇宙の果てほどに離れた粒子どうしがエネルギーの交換なしに、宇宙で最も早いはずの光速をも超えて影響を与え合うことも明らかになっている。これは「量子エンタングルメント」と呼ばれる現象であり、フランスのアスペらが1980年代初めに行った実験によって証明されている。
さて、量子論における量子の振る舞いで最も奇妙に見えるのが、量子が異なるいくつかの状態の重ね合わせで表現されることだ。
たとえば、ある一つの電子の位置について考えるとき、「A点にいる状態」や「B点にいる状態」、「D点にいる状態」などが一つの電子の中で重なっているため、どこか一ヶ所だけにいるとはいえない。しかし、その電子を観測したときには、波の収束という現象が起きて一つの状態に変化するのだという。
このように量子の振る舞いを解釈することは「コペンハーゲン解釈」と呼ばれ、量子論の基本的な考え方の一つとなっている。
フォン・ノイマンは1932年に著した『量子力学の数学的基礎』という本の中で、コペンハーゲン解釈における「波の収縮」は、量子論の数学的枠組では説明できないことを証明した。つまり、量子の振る舞いの中では波の収縮は起きないのである。しかし、私たちは、波の収縮した状態である「1点にいる粒状の電子」を発見する。これはなぜなのか。
それについてフォン・ノイマンは、「波の収縮は人間の意識の中で起こる」と結論づけた。観測者である人間が電子を「観測した」と意識した途端に、波の収縮が起きるのだと考えたのだ。量子の振る舞い上で波が収縮しないなら、それが起こる場所は人間の意識の中にしかないはずだ、というのが彼の主張である。
しかし、この主張は現在ではほぼ否定されている。波の収縮は、もしそれが起きるならば人間の意識の中ではなく、実際の物理現象の過程で発生しているだろうと考えるのが現在の通説である。
しかしながら、フォン・ノイマンが証明した「波の収縮は量子論の数学的枠組では説明できない」ことも確かな事実だ。そこで必然的に、「波は収縮せずに広がったままではないか」という発想が出てきた。
波の収縮はコペンハーゲン解釈における一つの仮定であるが、これを放棄して、なおかつマクロの世界に現れる観測結果を説明しようとしたものが、「多世界解釈」という考え方である。