
出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円

●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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上代語に表れる日本人の霊性
国見(くにみ)儀礼という祭祀もまた、そのような自然への感性に通じるものだ。
国見儀礼とは天皇が高い山に登り、その視界に入る天地自然の中にさまざまな兆しを読み取り、それと交感・対話・交渉して秋の豊穣を前もって祝うものである。それは、自然の声との対話であり、同時に言霊の力を施行することでもあった。
『日本書紀』には皇極(こうぎょく)天皇が雨乞いのために天に祈ると、突如大雨が降ったという記述が見られるが、そうした業(わざ)もまた、天地自然と感応する言霊の力に基づいているのだろう。
とはいえ、何でも言葉にすればいいというものでもない。自分の意志を言葉にして言い立てることを「言挙(ことあ)げ」というが、むやみな言挙げは慎むべきというのが日本古来の考え方である。
次に紹介する歌は、『万葉集』に収載された、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が旅立つ友人に贈った歌であり、言挙げについて述べられたものだ。
葦原(あしはら)の瑞穂(みずほ)の国は神(かむ)ながら言挙(ことあげ)せぬ国然(しか)れども
言挙ぞ吾(あ)がする事幸(ことさき)く真幸(まさき)くませと
恙(つつみ)なく幸(さき)くいまさば荒磯波(ありそなみ)ありても見むと
百重波(ももへなみ)千重波しきに言挙すわれは言挙すわれは(長歌)
磯城島(しきしま)の大和の国は言霊の助くる国ぞ真幸(まさき)くありこそ(反歌)
日本は本来、言挙げしない国ではあるが、私は旅の幸せをあえて何度も言挙げしたので、大和の国の言霊の力によって、旅の幸せは確かなものとなった。
―おおよその意味はこんなところだろうか。
ここには、むやみに願いを言葉にしてはならないこと、そして、真剣な思いで口にされた言葉には言霊の力が備わって霊威(れいい)を発揮することが記されている。
その言霊なるものへの理解を深めるため、再び上代語の世界をのぞいてみよう。
上代語には古代の霊性のあり方と関連する単語があり、そのうち現在でも残っているのが、タマ(魂)、タマシヒ、カミといった言葉である。
それについて、七沢氏の友人として共に神道や言霊を研究してきた能澤壽彦(のうざわとしひこ)氏は、「イ、カ、キ、サ、チ、ツ、ナ、ニ、ヌ、ネ、ヒ、フ、ホ、ミ、ユ……」といった一音語が霊性との関連を示す「霊格語(れいかくご)」となっており、それが、神名(しんめい)や人名、さまざまな名詞や動詞の中にその構成要素として組み込まれていると説明する。
そして、その一例として、イノル(祈)、サニワ(沙庭、審神)、イカヅチ(雷)、ヤサカニ(八坂瓊)、ウケヒ(宇気比)、ユツイハムラ(斎つ岩群)など霊性と関係する単語を挙げている。
それらの単語に組み込まれた霊格語は、言霊を発揮するトリガー(引き金)の働きをすると考えればいいだろう。そして、そのようにして上代語における一音語や二音語からの単語の派生を探ることで、われわれ日本人の霊性の様相も明らかになっていく。上代語から現代語に至る変遷は、そのまま日本人の文化と精神性の歩みであるからだ。
七沢氏は「語源モデリング」という形で、その部分を明瞭に解き明かそうと試みる(次ページ図参照)。
「タ(手)という一音語とムク(向く)という二音語の組み合わせが、上代語のタムクになり、それがタムケ、タムケルといった古語となり、さらに、現代語の『手向ける』という言葉として今に残っています。これを現代語化した古語という意味で残存(ざんぞん)古語(こご)と呼んでいます」
氏によると、単語の成り立ちをよく見ることで、言葉の向こうにある精神やイメージの世界が照らし出されるという。この例でいえば、タムク、タムケルといった単語の向こうに、手という身体器官の持つ潜在的な意味や、祈りのイメージが存在していることに気づかされることになるだろう。
そして、そのような語源への洞察は、古代の日本文化、精神性、祭祀などを総合した「古層和語圏」へのアクセスをも可能にするはずだ。