
出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円

●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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言霊学の始まり
「古層和語圏」へのアクセスを意識的に行う試みといえるのが、江戸時代に興(おこ)り、明治になってから独特な発展をみせた言霊学(げんれいがく)という学問だ。
すでにご説明したように、言葉が心(=霊)に直結するという言霊の考え方自体は『万葉集』の時代以前からあったわけだが、それを体系的に捉え始めたのは江戸時代に入ってからであり、さらに明治時代における急速な西欧化の流れの中で民族主義的な機運が高まったことが一つのきっかけとなって、言霊学として確立されることになった。
その言霊学を簡単に定義するなら、日本語を構成する各音の持つ潜在的意味や日本人の精神性・霊性とのかかわりを、ある種のエネルギーとして把握しようとする学問といえようか。
たとえば、アという一音には、亜、吾、我、阿といった意味があり、さらに、「あー、驚いた」「あーあ、がっかりだ」「あー、なるほど」というように、心情の働きにも連動している。そのように、五十音の各音に人の心を構成する五十種類の要素を対応させられるとすれば、人は無意識のうちに五十音の組み合わせによって心を動かしていることになり、逆にいえば、五十音各音の持つ言霊によって人の心を動かせることにもなる。
近代における言霊学の発祥は、書道家で神代(じんだい)文字の研究家でもあった山腰弘道(やまこし)という人物が明治天皇と共に、宮中賢所(かしこどころ)にあった文書と昭憲皇太后の実家・一条家からもたらされた文書から言霊の法則を学び取り研究を始めたことに始まる。
その研究は山腰弘道氏の子息である明将氏が興した「明生会(めいせいかい)」に引き継がれ、さらにその門下生である小笠原孝次(こうじ)氏に引き継がれた。
そして、その小笠原氏から言霊学の教えを受けたのが七沢賢治氏である。
七沢賢治氏は昭和22年、山梨県甲府市生まれ。戦後の混乱の中、周囲で起こる土地や物の奪い合いに心を痛めていた氏は、物心ついたころには「なぜ人と人が仲良くできないのか?」「どうやったらそれが解決できるのか?」というテーマに思いを向けていた。そして、その答えを見出すべく文学や哲学の本を読み漁り、16歳のときにふと、「どうやら宇宙には意志がある」と直観する。
その体験の影響か、統合という考え方に興味を示すようになった七沢氏は、大学進学後、さまざまな宗教が教義として語っているところを統合する学問を志し、中立的な立場で宗教を研究するようになる。
最初に師事したのは言語・文化研究者として著名な奈良毅(つよし)氏。その後、言霊学を伝える小笠原孝次氏に師事する。その最初の出会いは次のようなものであった。
1975年1月、当時大学院生だった七沢氏は国会図書館で小笠原氏の著書『言霊百神』に出会う。そこに書かれた、日本語の一音一音から広がる整然とした世界観に強い衝撃を受けた氏は、図書館から小笠原氏に電話をして面会を申し込んだ。
偶然にもその日は小笠原氏の72歳の誕生日であり、その日から七年間、七沢氏は小笠原氏の自宅に毎日のように通うことになる。
「小笠原先生の六畳一間の部屋で正座して、一対一で、延々と禅問答のようなことをさせていただいたものです。先生は、広告の裏の余白にいろいろ書いて説明してくれましたが、厳しい人でもありました。また、すごい霊力の持ち主であり、心の中で思ったことを全部読まれてしまうので、考えないようにするのが大変でした」
小笠原氏は相手がどの程度悟っているのかを前提にして人と接していたという。
七沢氏は「そんな偉大な師から自分が大事にしてもらえた理由が分からない」と謙遜するが、その若き弟子時代から数えて数十年後に言霊学を大きく飛躍させた功績を思えば、やはり、小笠原氏は正しく七沢氏の素養を見抜いていたのだといえよう。