
出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円

●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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言霊学と伯家神道の位置づけ
まずは、言霊学と伯家神道について、その概要をおさらいしておきたい。
ユーラシア大陸の東端に位置する日本は、その地政学的な特長から、世界各地で生まれた太古からの文化遺伝子を現代にまで蓄積・継承・保存してきた。
1万年を超えて埋蔵されてきた、その豊穣な知的・霊的資源への入り口となりうるのが日本語であり、現代語のもとになった古語、さらに古語のもとになった上代語(上代和語)にまでそのルーツをさかのぼることで、古代の日本文化、精神性、祭祀などを総合した「古層和語圏」にアクセスすることができる。
そして、その「古層和語圏」へのアクセスはまた、日本の直面する国際的な諸問題を打破する一つのきっかけにもなりうると七沢氏は言う。
「今、日本は『アメリカ化』という形で解体される一方で、『中国化』までもが進行しています。この二重亡国化(ぼうこくか)を食い止めるには、古層和語圏との再連結によって独自の精神性の道を選ぶことが必要です。それは、二重亡国化に対抗するための、小さいけれど最終的な精神的拠点となるでしょう」
言霊学は、その「古層和語圏」へのアクセスを意識的に行う試みである。
それは、日本語を構成する各音の持つ潜在的意味や日本人の精神性・霊性とのかかわりを、言語エネルギー(言霊)として把握しようとする体感的な学問であり、そこに精通することで、理想的な心のあり方や他者との接し方などが、ある種の行動規範として日本語の五十音から立ち現れてくるのだ。
その意味では、クイント・エッセンスによる言語エネルギーの発振は、そのまま「古層和語圏」へのアクセスとなり、実践倫理行動規範が受け手の精神圏に立ち現れることを促すものだといえるだろう。
ある脳性マヒの青年がクイント・エッセンスによって精神不安を改善させた事例があるのだが、彼は手記に「クイント・エッセンスは、世の成り立ち、人としてのあり方を僕に指し示してくれた」と記している。
これは、本人が意識する、しないにかかわらず、言語エネルギーの発振は受け手の脳へ「人が本来持つべき行動規範」を伝達するという好例であろう。
さて、言霊学では『古事記』、中でもその創世神話の解釈を重視する。
今この瞬間である「中今(なかいま)」において宇宙は絶えず創造される、というのが言霊学における『古事記』の理解であり、『古事記』と五十音には、無から有を生み出す仕組みが組み込まれていると考える。
そして、その仕組みを言語エネルギーとして意図的に活用するなら、天地自然と感応して祈りを叶えることも可能である。つまり、自分自身で現実を創造できるのだ。
一方、世界各地から伝わり、1万年を超えて埋蔵されてきた豊穣な知的・霊的資源を現代に伝えるもう一つの伝統が、宮中という特異な場において、比較的純粋な形で伝承されてきた伯家神道である。
その伯家神道の行法(ご修行)では「神をつかみ、神を食べる」というように、神を直接的に体感し、明瞭で客観的な意識を保ったまま神と交信することになる。それは人間的なエゴに左右されることのない脳の高次機能の活用でもある。
かつて、そのような神との交信は国の政(まつりごと)に直結していた。古代の国家において、それは当然のことであり、前述の通り、政(まつりごと)とは「祀りごと」でもあった。「帝」「王」の語源が宗教的儀礼と関係するのはそのためである。
そのように、国家公用の神事を立てるというのが本来の伯家神道の役割である以上、それは「公(おおやけ)」のために利用するという目的でしか、使用してはならないものと考えるべきだ。
ならば、タミ(民)である私たちがその考え方を知る、あるいはそれを行じることの意義はどこにあるのか?
七沢氏はこう語っていた。
「十種神宝御法(とくさのかんだからのごほう)の初期段階で遠津御祖神(とおつみおやのかみ)と一体になることで、伝統的な先祖崇拝を、現代科学におけるDNAの知見とのつながりにおいて理解できるようになります。また、国津神を迎えることは、環境と人間が一致するということですから、それによって自分自身の体のように環境を感じられるようになり、環境破壊を自身の痛みとして捉えることになります。これは古い民族が本来培(つちか)ってきた感覚であり、環境問題の根本的な改善へつながる意識だといえます。
その上で、今度は言葉によって人間存在を自在にコントロールするというテーマが現れます。これが言霊(言語エネルギー)であり天津神の世界です。そこに、哲学の問題、矛盾論、実践論、存在論が出てくる。そしてその先に豊富な発想で宇宙と存在をデザインする量子論があり、宗教における創造論があるといえます」
これらを踏まえて、「神を手でつかみ、神を食べる」ということだ。そして、そのようにして神と一体になるとき、人は自らの宇宙の創造主となる。