出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円
●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
当サイトでは、出版社の文芸社様にご協力頂き、『言霊はこうして実現する』を全文掲載しております。
言霊について深く理解するために、是非お役立て下さい。
※無断使用・転載は著作権により禁止されています。
当サイトの内容はその作成者に著作権があり、それらを作成者に無断で使用したり転載はできません。
七沢賢治が継承する伯家神道の教えを学びたい方は、【一般社団法人白川学館】の講座案内をご覧ください。
最新の研究成果は【株式会社七沢研究所】をご覧ください。
神をつかみ、神を食べる
伯家神道を理解する上で重要なキーワードといえるのが「体感」である。
七沢賢治氏によると、師である高濱浩氏は伯家神道の行法を始めるとき、手の平を見せ、握る動作をされて「七沢さん、神をこの手でつかみたいですか?」と聞いたという。そして、この行法は「神をつかみ、神を食べる」ことであると伝えたという。さらに、「おみち(伯家神道)は神が修行する」とも。
つまり、伯家神道の行法とは、神人合一(しんじんごういつ)となり、その状態で行われるということだろう。それは高濱清七郎の詠んだ次のような歌にも表れている。
神道は障子の引手峰の松火打袋に鶯の声
草も木も人もなおさら真砂子(まさご)まで神の社(やしろ)と知る人ぞ神
ここで注釈は無粋(ぶすい)というものだろう。その意味するところは読者各人において熟考し、味わっていただきたい。
さて、その神人合一を「つかみ」「食べる」ように体感することについて、七沢氏は現代の脳科学の知見も交えて次のように説明している。
「『おみち』では、祓詞(はらいことば)を用いることで、視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚といった五感のいずれにも集中しない状態におき、筋肉を動かしている神経回路へ刺激を与えます。そうすることで宇宙創造の情報との直接的なコミュニケーションが可能になるのです」
ここでいう「宇宙創造の情報」を「神」と言い換えてもいいだろう。そして、筋肉の動きへ働きかけることの意味については、次の事例―事故によって脳の一部を切除した人物の話―が参考になるかもしれない。
その手術後、医師たちは「この患者はまともに歩くことも話すこともできないだろう」と考えたが、事実、しばらくの間は歩くことができなかった。ところが、指を動かすリハビリを続けたところ、その人は普通に歩けるようになり、元の生活を取り戻したのである。
「脳についてのこれまでの考え方では、脳が手足に『動け』と指令を出して手足が動いていると考えられてきました。しかし、このケースから分かるのは、末梢(まっしょう)神経からの刺激によって逆に脳を作る(再生させる)ことができるという事実です。つまり、脳の働きはある種の筋肉運動と見なせるのです」
これは決して突飛(とっぴ)な発想ではない。筋肉の働きが脳と深く関係していることは、脳科学の分野でも研究が進んでおり、すでに医療や教育の場においても筋肉を介した脳へのアプローチ手法がさまざまに試みられているからだ。
さらに七沢氏は説明を続ける。
「そして、『おみち』は神の知識を獲得しようとするときに、最小の力で最大限の効果を得られる手法だといえます。ご修行が進む中で自然に体が揺れてきます。やがて立ったり座ったりという無為(むい)運動も大きなものになっていきます。
神の知識を得るときにはこのように脊髄(せきずい)を揺らすものです。ちょうどユダヤ教徒も、トーラー(モーゼの五書)を暗記するときに体を前後に揺らしながら覚えます。これは、知識を得ようとするときの初期的な動きであり、合図であり、これによって神の智慧が波のように流入してきます。神とは、宇宙におけるあらゆる働きと一つ一つ一体化していくことでつかんでいくものなのです」
七沢氏のいう自然発生的な身体運動は一見すると奇妙な現象である。だが、これは医学的には、不随意(ふずいい)運動に関与する錐体外路(すいたいがいろ)系の神経回路へ働きかけたことで起きる運動として説明可能だ。
この錐体外路系運動を活用したものとして一部で知られているのが、野口晴哉(はるちか)の創案した野口整体における活元(かつげん)運動である。野口は『整体法の基礎』(全生社)の中でこのように書いている。
人間が生きているという面において一番大事なことは、知識以前の問題、技術以前の問題、あるいは自然にある本能といいますか、そういう力、そういう働きの問題であります。それを知識や技術に求めてみても得られないのではないだろうかということに至りまして、体運動の中で無意識に働いてしまう外路系の働き自体を敏感にするにはどうすればよいか、そこで外路系の働きそのものを使って訓練する方法を活元運動と名づけて、五十年ほど前から行ってきたのであります。
ただし、七沢氏によると、伯家神道の行法はこの活元運動とは似て非なるものであるという。
「錐体外路系の神経回路も使う点は同じですが、その手法も体験も異なっています。ご修行は審神者(さにわ)と神代(かみしろ)によって執り行われ、伯家神道独自の拍手を打った後、審神者(さにわ)が祓詞(はらいことば)を奏上し、神代(かみしろ)は外結印(がいけついん)を組んだ状態で瞑目(めいもく)して祓詞の言霊を身に受けます。
しばらくすると、神代(かみしろ)には、『おはたらき』と呼ばれる無為運動が生じますが、シャーマンのように脱魂(だっこん)状態になったり、意識が飛んだりするようなことはありません。また、幻覚や幻聴の類が出てくることもまずありません」
一見すると催眠現象のようにも思えるが、審神者(さにわ)はあくまで祓詞を奏上しているだけであり、催眠誘導を施しているわけではない。無論、特定の体験へ誘導するような暗示もそこには含まれない。
「神代(かみしろ)はあくまで客観的ではっきりした意識を保ったまま、審神者(さにわ)の助けを借りながら神と合一します。
約4億年前、海の生物であるホヤに脳が発生したことが、地球上の生物における脳の歴史の始まりだといわれています。その古代脳はそのまま水や大地や宇宙意識と一つになって働いていたのではないでしょうか。伯家神道のご修行は、その古代脳につながる方法であると私は考えます」
神代(かみしろ)の身にいわゆる霊能力のような現象が起きてきたときには、審神者(さにわ)は行を中止するという。それは、その霊能が主に個人にかかわる主観的能力であるからだ。
七沢氏によると「ご修行」が始まる前は、自己意識があっても、空の状態に持っていくことが要されるのだという。初めのお祓いによって空となって心身ともにリセットされているからであろうか。体験者はみな心身ともに清々(すがすが)しく、かつ神々(こうごう)しく感じられるという。そしてその修行が進むにつれ、神人合一の心境となっていくのである。