出版社:文芸社 著者:大野靖志 定価:1,680円
●プロローグ― 言霊によって現実を変える具体的な方法を初公開 ― どうして日本語は美しいのか? ― 言霊(ことだま)は「単なる迷信」ではない ― 西洋的価値観は私たちを幸せにしたか ― 日本― 新しい文明のパラダイムを提示しうる国 ― いにしえの叡智を今に伝える言霊学と伯家神道 ― 階層性と統合性によって知識を整理する ― 本書の使命とその方法論
伯家神道の秘儀継承者・七沢賢治が明かす神話と最先端科学の世界
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今・ここで天地は創造されている
『古事記』と五十音の持つ緻密な体系性、すなわち階層性と統合性には、誰しも息を飲むほどの美を見出すはずだ。だがそれと同時に、このような創世神話を知ることに何の意味があるのかといぶかしく思う向きもあるだろう。
これについて、小笠原孝次氏の『言霊百神』は、『古事記』に描かれた宇宙創造は遠い過去に起きたものではないと説明する。
それは歴史的考古学的に遡(さかのぼ)った歴史以前の未開時代に有るわけではない。生物学的に原形質、アミノ酸の発生の期に有るわけではない。天文学的に星雲の回転の出発点に有るわけでもない。宗教的に要求された神と云う意志的存在が遠い昔に創造を開始したわけのものでもない。
宇宙の始まりは常に今、此処(ここ)now hereに存する。これを中今(なかいま)(続日本紀)と云う。今と云う刹那の時点、此処という空間の質点に、意識としての、自覚としての人間の生活と云わず、文明と云わずあらゆる営みの出発点がある。
つまり、今この瞬間である「中今(なかいま)」において宇宙は絶えず創造され、「中今(なかいま)」においてその創造の源(みなもと)へ帰還するというのが言霊学における『古事記』の理解である。そして、これは現代の量子力学の考え方にもつながってくる。
量子力学では、「無」では、常に電子と陽電子の対生成(ついせいせい)や対消滅(ついしょうめつ)が起きていると説かれるが、これは「中今」における創造並びに創造の源への帰還と相似(そうじ)の現象だといえるだろう。
そこで生じる電子や陽電子は対消滅によって瞬時に消滅してしまうが、「対称性の自発的な破れ」が起こることで消滅を免れたものが質量を持つことになり、物質として産み落とされる。その「対称性の自発的な破れ」とは、『古事記』の創世神話と五十音の構成における対称性の破れと同様のものと考えていいだろう。
ここで、量子力学の理論と神話の構造とをそのまま関連づけることに疑問を呈する人がいるかもしれない。
だが、宇宙の構造がミクロの原子からマクロの太陽系、銀河系を貫いて相似性を持つ事実を考えるなら、『古事記』と五十音には、無から有を生み出す仕組みが組み込まれていると考えても決して間違いではない。それは森羅万象どんな物事にも適用可能なはずだ。
人の意識はこの「中今」において、思考や感情の創造と消滅を目撃し、天地自然はこの「中今」において生命の誕生と死を包容している。その構造を言霊として意図的に活用するなら、天地自然と感応して祈りを叶えることも可能であろう。
そう、無の世界からわれわれは日々創造され、無の世界へと消滅している。そして、言霊百神はどこか遠くに存在するのではなく、まさに今この瞬間に、われわれの内に生き生きと働いているのである。
『古事記』そして五十音に通じることは、その創造と消滅のプロセスへ意識的に参入することにつながるのだ。
この点について七沢氏は次のようにコメントする。
「ある神道系の新興教派に、五十音を唱えることがそのまま祓(はら)いになるという教えがあります。言霊学を参考にしたのでしょうが、考え方としては間違っていません。五十音図には布斗麻爾(ふとまに)、天津太祝詞(あまつふとのりと)、天津金木(あまつかなぎ)、天津菅麻(あまつすがそ)、宝(たから)音図、赤珠(あかたま)音図など複数の配列がありますが、いずれも意味ある階層性と統合性に基づいて言葉を整理したものですから、それを唱えるだけでも祓いとなるのです。
私が実践してきた伯家(はっけ)神道の行において奏上する『身禊祓(みそぎはらい)』(254ページ参照)では、『古事記』に説かれた百神のうち八十七番目の八十狂津日神(やそまがつひのかみ)から九十七番目の上筒男命(うわつつをのみこと)の名前を順に唱えますが、これらは言葉を整理する神ですから、その神名を口にするだけでもやはり祓いとなります。階層を分けて整理することはそれだけで祓いとなるからです。
なお、百神最後の三貴神―天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読神(つきよみのかみ)、須佐之男神(すさのをのかみ)は、造化三神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)と鏡像のような対照関係にあります。つまり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を迎え、月読神(つきよみのかみ)は文字に転写されたそのエネルギーを読み取り、それをさらに実践へ移すのが須佐之男神(すさのをのかみ)ということになるのです」
階層を分けて整理することはそれだけで祓いとなる―この概念は、個人の悩みから社会全体の問題に至るまで、あらゆる苦悩や苦痛を解消しようとするときに大きなヒントになるはずだ。